2020/09/09

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑤サフランボル

 お昼時、サフランボルに到着。

ここは7年前イランへの旅の途中でも立ち寄ったことのある町で、日本人にも人気の

観光スポットらしい。 

旧市街には、オスマン帝国時代に建てられた古民家が町全体を埋め尽くし、

こじんまりとした小さな町ながらも世界遺産に登録もされている。

古民家はゲストハウスやレストランに改築されていることが多く、戸棚の中に浴室が

ある伝統的な部屋を用意している宿も少なくない。

私達は車を停め、さっそく町の中心部のレストランで昼食をとった。

観光地らしきところに来たのは、この旅で初めてだったけど、まあ人がいない事。

あの、サフランボルにですよ。

以前来たときは、中国人や日本人観光客をのせた観光バスがひっきりなしに到着し、

お土産屋が集う路地なんかは、夜まで大賑わい。

宿泊したところの隣室はドミトリーの部屋で、そこの部屋も満員だった。

コロナによる観光産業への影響は、なんとなく想像はできていたけど

まさかこんなスッカラカンな光景が、広がっているとは。

この町の観光業に関わる人達はどうやって生きてゆくんだろう。

ここの人達だけでなく、全世界の至る所がこういう状態な訳で、

ここにきて、はっきりとした形でコロナの破壊力を思い知ったというか。

 

 

とは言えトルコ人の国内旅行先としての人気はあるようで、ポツポツと

見かける旅行者はトルコ人が殆どで、私達のような外国人旅行者は、

1組しか見かけなかった。

そして余程珍しいのか、写真を撮られたりもした。

 

 

日中はうだるような暑さ+マスク着用義務が家を出た瞬間からある国なので

とてもじゃないけど観光などできず、ようやく涼しくなった20時ぐらいから

やっと町散策をすることが出来た。

色々見たかったんだけど、そんな時間からだと土産物屋なんかも閉店の準備を

しだしていて、結局ビールを買って宿に帰ってテラスで飲んだだけだった。

 



トルコの公共浴場ハマムは営業していた。


この日の宿は古民家を改築したゲストハウスで、宿泊費も破格の値段だった。

子供は無料、大人二人朝食付きで20ユーロぐらい。

アジアのどっかの国を旅している金銭感覚。

このスーパー閑散期だからできることなんだろうけど、宿に直接駆け込んで

値段を聞くと、よくある宿泊予約サイトの半値ということもある事を知った。

そしてこの宿の宿泊者はやはり、私達だけだった。

なんか、何しに来たんだろうというモヤモヤがかなり残ったのだけど

暑いシャワーと、貯まっていた洗濯物ができただけでも良いではないか。

あと、Wi-Fiが使い放題だったので、色々と調べものとかゆっくりできたのも

良かったかな。

 

翌日、メンズ二人はハマムに行って綺麗さっぱりなったところでサフランボルを去る。

そして新市街の方へ出向き、トルコ国内で使えるSIMカードと、インターネットの

パケット契約する。

普段旅をする時は、デジタルデトックスの意味もこめてと、情報過多で冒険心が

削がれるのを避けるため、極力オフラインな生活をしているのだけど、

今回はコロナ禍の中、最新の情報が常に必要だったため

買おうということになったのだった。

前情報では1カ月25ユーロぐらいとの事だったけど、実際店に駆け込むと

SIMカードに25ギガの通信料で10ユーロぐらいだった。

なきゃないでなんとかなるんだけど、あったらあったでやはり旅の充実度が

全然違うんだな。

適度に使えばこんな便利なものはない!


2020/08/24

2020年東欧トルコ車中泊の旅_⑤サフランボルまでの道すがら

数日ぶりに海を一旦離れ、サフランボルという街へ向かう。

この日も暑くて暑くて、通りかかった川で水浴び休憩。

川辺にはトルコ人ファミリーが一組いて、かっこいいサモワールで
チャイを煮出していた。
 


メルハバと軽く挨拶をして、水浴びをして一息ついていると、このファミリーの
お父さんから「チャイ?」とお声がかかった。


そして有り難くチャイを頂いて飲んでいると、今度は「イェメク?」と聞かれた。
食事は?と言う意味で、さっきからこちらにお茶を運んでくれつつ、焼き具合を
見守っていた炭火焼きのチキンを分けてくれると言うのだ。

ここまでの会話も全てジェスチャー。

予想する所、コレはきっと一緒に食べましょうと言う事だと思ったので、椅子を持って
早速ファミリーが座ってる所に向かうと、そう言う意味ではなかったらしく、
 「出来たらそっちに持ってゆくから待っててね」と言われた。

そして離れた所に敷物を広げ座り、ようやく気付いた。

コロナだからだ、この距離感。

しばらくしてお肉を運んで来てくれたお父さんは、
「ヨメが怖がっちゃってね。何がコロナだよ、そんなもん知ったことか!」と、
マークスのすぐ隣に腰をおろし、お茶を飲みながらブツブツ言っていた。

ここでもグーグル翻訳アプリの登場で、やっと会話が成立するようになった。

そしてここよりもっと良い、秘密の場所に連れていってあげると言って、
食事を終えたあと一同でその場所へ向かった。

車で10分ぐらいの所にその場所はあって、着くや否や、芝生でピクニックしている
おじいさんが二人を発見。

芝生の脇に車を停め、さらにそこから奥まった川沿いを奥へ奥へ歩いて行くと
美しい滝があったのだ。

今日の暑さなど忘れてしまうぐらい、どこまでも透き通った冷たい水が曲線を描きながら
滝壺から流れてくる。

天然のプールみたいな所。

こういう所にしては、トルコあるあるの"ゴミの散乱"が見られなかったので
地元民の秘密の場所なんだろうな。
 
素晴らしい所を教えてもらったな。
 
 
車に戻り、お父さん達とお別れをしたあと、
今度はピクニックのおじいさん達のお招きに預かり、輪に加わった。

トルコ人らしからぬと言ったらなんだけど、二人とも自家製のラキを飲んで
酔っぱらっていて、私達にもガンガン酒をすすめてきた。
 
その他にも、パンやブドウやチーズやら、とにかく手持ちのものをなんでも
かんでも差し出され、ネタが切れたと思った瞬間、おじいさんがドヤ顔で
お皿に置いてくれたのがこちら。
 
 
レタス、ドーン。
 
 
思わす写真を撮ってしまった。
 
せっかくなので、ちょっとちぎって食べましたけどね、生のレタスのみを。
 
トルコ人のおもてなし根性みたいなのには、毎度感動させられる。
 
とにかく、あるもので最上級のもてなしをするという心得が誰にでもある。
 
ちなみに相当酔っぱらっているにもかかわらず、コロナの事はちゃんと気にしている
らしく、何故かしきりにウェットティッシュを差し出された。
 
これで手を拭けという意味なんだろうけど、さっきから彼らの手垢で
ベトベトになったグラスにラキを注いで勧めてくるのを、まずやめて欲しかった。
 
 
宴もたけなわ。
 
酒瓶が空になったところで、宴会終了。
 
片づけにとりかかるおじいさん達。

焚火をしていた所に、ありとあらゆるプラスチックごみを何のためらいもなく
放り込むのもお国柄。
 
この人達に罪の意識はまったくありません。
 
 なぜなら、国のゴミ廃棄の方法が、全燃やしだからです。
 
環境大国と言われるドイツから来た人間からすると目を覆いたく
なる光景だけど、こういう場所では何も言うまい。
 
 
 
 
おじいさんたちは、ベロベロに酔っぱらいながらも、車に乗って帰って行った。
 
私達はその場で車中泊して、翌日また例の天然プールへ向かった。
 
そして今日も火照りそうな体にできるだけ沢山のマイナスイオンをチャージしてから
サフランボルへ向かった。
 


2020/07/29

2020年東欧トルコ車中泊の旅_④黒海トリップその1

トルコ2日目。

昨夜のビーチがイマイチだったので、別の場所を探す。

マークスお得意、グーグルマップの衛星写真から良さそうな場所を見つけ、そこまでルーティングしてもらうというやつだ。

スゴイいい場所に出くわすときもあり、駄目な時もあり。

この日は史上最高とも言える大当たりな場所で、2日ほど滞在しようと決めた。

近くの村の人がやってくるビーチらしく、着くや否や早速村人のお招きに預かる。

だけど着いたばかりだったので、住所だけ聞いておき、後日訪ねると約束した。

誰もいないプライベートビーチ。

昨日の所よりも波が穏やかで、水も澄んでいた。

2日目、海遊びを終えてそろそろ夕飯を作ろうと思ったとき、また別の村人に誘われた。

彼らも英語が話せないし、私達もトルコ語話せないけど、ほぼジェスチャーでどうにかこうにかしてお家へおじゃますることに。

誘ってくれた彼は、27歳の料理人で、普段は違う町に住んでるけど、暫く海沿いの実家に帰省している最中だと言っていた。

一家は自給自足の家族で、牛も飼っている。庭には見事な家庭菜園か広がっていて、他国の畑事情をのぞかせてもらうのは実に楽しい。



相変わらず言葉は通じないんだけど、
途中でグーグル翻訳なるものが登場しコミュニケーションも幾分か楽になった。

だけど、あってもなくても、彼らにとって言葉はあまり関係ないんだろうな。

恐るべしコミュ力。

この日は庭で一泊させてもらうことになり、お父さんが何故か洗車までしてくれた。

翌日、盛りだくさんの朝食を皆で食べて、手作りチーズを手土産にもたせてくれてお別れした。

早くもトルコ人ホスピタリティに遭遇。

いつもと違いコロナの最中なので、私が旅でとりわけ楽しみにしている人との触れ合いは、今回あまり期待せずにいたのだけど、この人達は相変わらずの距離感で私達を受け入れてくれた。

コロナ、怖くないのかな?

こんな田舎の、海沿いの平和な村では、コロナなんぞ無縁の世界なんだろうか。

そいえば、ワクチン接種済みなんでしょ?
みたいなこと言ってたし、外国人旅行者は接種済みという噂が広がっていると見た。

トンデモナイ!
私達丸腰です!

2020年東欧トルコ車中泊の旅_③トルコに入国

トルコ、エルディネ。

この国旗を通過するのは4回目かな。
EUとを隔てる国境で、ここを通過すると、ようやく世界がガラリと変わる。

ブルガリアの国境でなびいていたEU連盟の旗よりも更に大きなトルコの国旗が
入国と共に目に入る。

大国にやって来た感。

ヨーロッパのチマチマした規制などなく、自由で雑でカオスでワイルドだ。

生身の「The人間」たちが、いとも簡単に人が築いてしまう垣根を超えてやってくる。
本当の旅はここから始まる。

やはり東へ向かう旅は、西の百倍ワクワクするな。(同時にソワソワもするけど)


ここの国境はいつもはスゴイ混雑ぶりで、通過するの2時間待ちはいつも覚悟する。

特に流通関係のトラックの列は国境から3キロぐらい列をなしている。

それは、このコロナ禍の中でも変わらず。

いつもと様子が違うのは、
ブルガリアからトルコの国境に向かう最後50キロぐらいの間。

ここで見かけた車は、9割がドイツナンバー。
しかもベルリンナンバー。

EUの国境が解放されてから一週間ぐらい、ようやく里帰りができるドイツ在住のトルコ人の車だ。
高級車が実に多い。


一般の渡航者のゲートに着くとこの通り。

ガラガラ。空っぽ。

入国審査で聞かれた事は、行き先ぐらい。

とりあえず、この時点ではグルジアに行くつもりだったので、黒海方面を目指すと答えておいた。

入国のスタンプを押してもらい、およそ3ユーロでマスク2枚と消毒液を二人分買わされた。

所要時間10分。

トルコに入国。
10分ぐらい走ったところにあるトラックドライバーが集っている食堂で、やっとの昼ご飯にありつけた。

チョルバ(レンズ豆のスープ)にケバブ、ラフマジュン。グリルしたパプリカとトマトと、ジューシなサラダ。

思えばセルビアからずーっと、外食しても言葉が通じず選択肢がなさ過ぎて、塩焼きの肉にパンみたいな物しか食べて来なかったので、ここに来て一気に希望の光が差し込んだ気分だった。

やはり旅は食文化が豊かな国にしか行きたくない(断言)

近くに座っていたドイツ語が話せるおじさんは、この店は国境付近というだけで、めちゃくちゃ高いけど、普通はもっと安く食べれるよと教えてくれた。

その意味は後ほど知る事になるんだけど。

満腹になった所で、いよいよトルコ旅の始まり。

とにかく暑いので、まずは黒海を目指し、グルジア方面に向かいつつ、海沿いをのんびり行こうということになった。

楽しみなんだけど、ついにはじまったか〜。

正直言うとわたし的には、コロナと言うよりも、トルコを旅するのに、若干の戸惑いがった。

というのは、数年前から続いているシリアの内戦や、イスラム国のテロリスト達。

ネガティブなニュースは今でも耳にするし、もうずっと何年も渡航勧告が出ている国なのだ。

そこをこのコロナ禍の中、何で旅をするのか。
と言うモヤモヤは今でも正直あり、スッキリ楽しめない気分にたまになったりする。

だけど、来たからには仕方がない。
グルジアに入国するまで一週間、無事に過ごそうではないか!

ボスフォラス海峡を超え、アジアに足を踏み入れる。

イスタンブールを遠くに望み、海を目指して着いた黒海のビーチは、週末で結構な人が訪れていた。

ゴミだらけで、牛が波打ち際を歩いていて、イルカの死骸が転がっていて、それを子供たちがスマホで撮影ていた。


やはり、トルコは外国というより異国だ。

2020年東欧トルコ車中泊の旅_②ブルガリアの奇界遺産

ブルガリア。

車窓からひたすら街の様子を眺めながら移動移動。

全体的に社会主義時代の建造物が多く、ファンにはたまらない街並みだと思う。

わたしもどちらかと言うと好き。

あの時代の建物は、無骨で無機質だけど
大げさで、何とも言えない威圧感。

これをどう捉えるかは人によるけど、
私的には筆舌し難いツボを刺激され、グッとくるものがあるというか。

その時代に育った夫は、見るだけでうんざりと言いますが、ここは違ったようで。

ブルガリア東部のとある山頂にそびえ立つ、ただならぬ建造物。


旧共産党本部。
の、廃墟

かつての輝かしい栄光がうそだったかのように、その堂々たる外観は残したまま、内部は朽ち果てて、廃墟と化してしまったのだ。

何年か前にクレイジージャーニーと言う番組で紹介されていたのを見た事があって、いつか行ってみたいと思っていた所。

そして、今回の旅でトルコに向かう道の途中に丁度あったので、夢叶ったり。


まずは近隣の村に到着し、山頂にUFO的なものがある事を確認。

 
しばらく走り、これまたデカすぎる目印のモニュメントがある所から山道に入り、車で10分も登ってゆく。
あの会議場に行く為だけの道。


辿り着くまでもが、大袈裟すぎる。

無駄に高い所、無駄に長い道というのがあの時代の絶対的な権威を誇示しているかのような、威圧感か半端ない。

そしてようやくたどり着く。



前情報で、警備員もいて中に入れない事は知っていたので、周囲のみを観察。

それだけでも、スゴイ迫力。




本当は、内部の天井にデカデカと描かれてている鎌と槌のソビエト国旗が見たかったんだけど、壊れた外壁の隙間から、一部分だけうっすら見える程度だった。

この廃墟の見どころは、外観もそうだけどあのボロボロの内部、そしてあのマークにこそあると思って楽しみにしていたので、残念でならない。

まあ、でも警備員さんの了解を得て、この日はこんな所で車中泊。


夕方になると、どこからともなく馬の群れがやって来て、廃墟前にとてつもなく平和な光景が広がっていた。

翌日は、息子6歳の誕生日。

起きたら車の周りを馬たちがぐるりと囲んでいて、ソロりと外に出てゆく息子。


馬たちがお祝いに駆けつけてくれたようでもあり。

この日の為に予め持参していていたプレゼントのカイト。

本当なら今頃は黒海の何処かのビーチで羽ばたいてるはずが、こんな所でなんてね。

まあ、良い思い出になったかな。

この後、またあの大袈裟な道を下って行く途中の水飲み場で、誕生日のラッキーボーイはこんなものを拾った。

幸運のシンボル、馬の蹄!🐴

良い誕生日だったね!

2020/07/15

2020年東欧トルコ車中泊の旅_①トルコまでの道のり

2020年6月18日。

予定より1日遅れたが、
行く先をトルコ経由のグルジアということにして、いざ出発。

いつもなら何の気なしに通り過ぎてゆく国境でも、今回に至っては歓声があがる。

思えば数週間前までは、国内はおろか、自分の住んでいる州からも出られなかったわけだから
他所の国に行くなんてもう、開放感が尋常ではない。

やっと自由。
なのか?
いや、まだ世界中がコロナ禍であることは間違いない。
だけど、そんな中でも旅する自由はあるはず。
自己責任、はい百も承知しております。
コロナ印籠にひれ伏す日常から、ちょっと抜け出したいだけです。

そんな思いで出てきた訳だけど、やはり
どこにいてもコロナ様の目は行き届いております。

まず最初に通ったチェコでは、ドイツ同様マスクの着用は義務化されているようだった。
だけど、地方のレストランではウェイターは丸腰だったし、客席の距離も特別保たれている
様子もなく、通常営業そのものだった。

翌日はスロバキア、ハンガリーを経て、いよいよEU外のセルビアに入国。
必要以上にドキドキするも、あっさり入国。

深夜友人が住むノヴィ・サドに到着。
東方への旅の際は必ず立ち寄る友人宅で、これで3度目。
初めて会った時、まだ5歳ぐらいだったひとり娘のアニャは、身長が180cmの17歳。
英語がベラベラの立派な娘っ子に成長していた。

しかも幼いころドイツに住んでいたので、ドイツ語もベラベラでトワとも良く遊んでくれた。

ここには3日滞在したんだけど、トワが庭で遊んでいたら近所の子供たちがワラワラと
やってきて、芸大の講師である奥さんがテラスで工作ワークショップを開くという展開に
なった。

普段まったく接点がない子供たちで、どこの家からやってきたのかも知らないが
外国人の子がいると話題になったんだろうか。

トワはその中の一人の女の子と仲良くなり、身振り手振りでコミュニケーションをとり
二人でブドウを食べながら、夕日を眺めたりしていた。

明日も遊ぼうと約束したらしいけど、翌日は誰一人として子供たちは集まらなかった。

家の中からトワが庭で遊ぶ様子を見ている子もいたので、きっと親御さんたちが、
禁じたんだと思う。

理由があるとしたら、やはりコロナだろう。

トワはあの女の子にさよならも言えなくて、残念そうだった。

友人宅を去り、色々寄り道をしつつブルガリアを目指す。
滞在時もひっきりなしに降り続いた雨のおかげて、地方では洪水が起きて大変な事になっていた。

途中で立ち寄った山奥にあるナントカ渓谷。
毎度名前がわかりませんで。(調べる気ゼロ)
こういう所。

ここで一泊して、渓谷を望む丘で暫しハイキングした後車に戻ったら、ドイツナンバーのトラックキャンピングカーがやってきた。
こんな時期にこんな所に来る物好きがいるもんだなーと思っていたら、何と彼らはドイツに帰る途中との事。

去年の秋に旅に出て、グルジア、イラン、オマーンを旅して、トルコに入った時にコロナでロックダウンがおき、7週間滞在先に閉じ込められていたそう。

ようやく国境が開き、晴れて国へ帰れると
喜んでいた。

飛行機なら話は分かるけど、陸路で自力で帰る事も出来たはずなのに、それすらも認められないって、そんな大変な思いをした人もいたんだな。

彼らからの情報によると、トルコもブルガリアも国境は普通に解放してるとの事でホッとした。

トルコへと向かうべく距離を進め、再びEU加盟国のブルガリアの国境。
セルビアは難なく出国できたのだけど、なんとブルガリアで難癖つけられた。


ドイツパスポートがある夫と息子の入国は問題ないけど、日本国パスポートを持つ私は
入国できないという。

え、っと、私もEU市民だし、ドイツの永住許可書添えてるんですけど、どゆこと?

そんなおかしな話があってはならない。

入管の職員は、ブルガリアには入国できるけど、トルコでは日本人を受け入れていない。

みたいな、なんとも不確かで不誠実な理由でもって、なかなかスタンプを押してくれない。

いやでも、私日本から来たんじゃなくて、ドイツ在住の日本人ですから!

はいはいそれは分かってます、だけどね、、、、

っていう、その顔。

なぜ、渋る必要があるのかね、君!

結局ほかの職員と話し合った結果、スタンプを押してくれた。

しかも

「3日ぐらいで、素早く出国してください、チャオ」

と、吐き捨てよった。

だから、理由はーーーーーー!!!???

いいさ、ブルガリアなんて元々トランジットで駆け抜けるつもりでいたんだから、とっとて出てゆくわい。

その前に、一箇所だけお目当ての場所に立ち寄ることにして、あとはひたすら東を目指した3日間だった。